2018年03月24日

「The Shape of Water」を観て

本編を観る前は、単なる異形恋愛譚の亜種だと思っていた。アンデルセンの『人魚姫』に代表される、世界各地に伝わる種族を超えたラブストーリー。もちろん本作の骨子はそれだ。しかし冷戦という時代設定を置くことにより、逃走劇のリアリティと、なにより現代を鋭く投射する構成がまことワークしている。その批評性の有効度に、観終わった後、思わず「ううむ」と唸らされてしまった。

言わずと知れた第90回アカデミー賞最多4部門受賞、監督はメキシコ出身のギレルモ・デル・トロ、おそらく本作が彼の代表作となることだろう。舞台は米ソ冷戦時代のアメリカ、声を失った清掃員の女性と、アマゾンから捕獲されてきた半魚人は、機密機関の研究所で出遭う。彼女は囚われの身である彼を、アパートの隣人や同僚、そして研究所の博士に扮したソ連スパイの協力を得て助け出す、というストーリー。

まずカメラやセンサーで完全に管理された現在では、機密機関から清掃員風情が囚われた者を助け出すなぞというプロットが成立するわけはない。しかし作中、彼女は監視カメラの向きを、手で物理的に変えることで監視員の目を誤魔化す。なんと牧歌的な手であろう!もちろん現代では映像の記録から、すぐに犯人が突き止められてしまう。しかし2010年代に生きる我々の眼から見て、レトロな科学技術が、逆に逃走劇へリアリティを付与している。

次に注目されるのは、いわゆる「味方」の人間が皆、差別される側(障がい者・黒人・ゲイ・東側)に属している点であろう。そして「敵」側の人間は、戸建てと広い庭・キャデラックという典型的なアイコンで、白人エリート支配層であることがカリカチュアされている。1960年代といえば、アメリカでは公民権運動が吹き荒れていた時期であり、この対比はこれだけでもその時代を上手く描写している。しかしこの図式は、そっくりそのまま2017年のアメリカと合わせ鏡になっている点がミソだ。覆い隠されてきた多くの階層の分断が、陽のもとに晒され、緊張感が高まる2017年以降のアメリカ。トランプ政権成立前夜から始まるこの風潮を、真正面からではなく、歴史から照射する反骨精神の鋭さには舌を巻くしかない。その中でその階層を、個人の愛が突き破ろうとする姿が胸を打つ、まこと傑作である。

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2017年12月31日

アジア経済を主導するエレクトロニクス需要は、どこまで続くのか〜2018年初にあたって

2014年末、原油価格をコアとする一次産品価格が下落した時、僕が住むシンガポールのコンテナ取扱量は顕著な下落を見せた。香港のそれも、中国景気の悪化に伴い2011年頃から雲行きは怪しかったが、やはり2014年末から崩れた。その底値は2015年末。原油価格が1バレル100ドルから一時30ドルを割れるところまで下落した時だ。世界中の新興国が、特に資源国が苦境に喘いだ。

しかしこのコンテナ取扱量は足許明らかに反転し、2017年末、シンガポールに関しては2014年の既往ピークと肩を並べるところまで切り返した。とはいえ肝心の原油価格は、まだ60ドル近傍と、2014年の半額レベルでしかない。では何がこのコンテナ取扱量反転のドライバーなのか?答えは半導体を中心とする、エレクトロニクス産業全般に波及した新規需要である。

中国スマホの興隆は言うに及ばずその裏側、世界中の人々が画像や動画を楽しみ始めたことにより、データセンターの需要はうなぎ登りである。DRAMやNANDのみならず、HDDの需要ですら上昇している。域内で云えばクルマ立国のタイの成長率もエレクトロニクス、とりわけHDDやセンサーの輸出拡大により、久方ぶりに4%台へ乗せた。世界最高最大の電気電子産業集積地のアジアは、この恩恵を今、最も受けている地域と云って差し支えあるまい。

ということで、2017年のアジア金融相場は極めて落ち着いていた。東アジア諸国やタイ・マレーシア・シンガポールなど電子立国には順調にグローバルマネーが流入し、為替を落ち着かせ、株式や債券価格を底支えした。クレジットスプレッドも歴史的な水準まで剥がされ、市場のボラティリティは拍子抜けするほど低下してしまった。通常ここまで成長が加速するとインフレが亢進するものである。しかし低い資源価格がインフレをキャップし、アジア各国は低金利下の成長を享受できることとなったのだ。

では2018年のアジアをどう見ればよいのか、三つのポイントを挙げたい。一つ目は、やはり半導体市況の持続性だ。これについては、中国などで増産に手は打たれてはいるものの、本格投入は2019〜20年とみる。つまり2018年通して価格はある程度高止まり=アジア景気を支えるのではないかと思われる。二つ目は資源価格の動向。地政学的リスクなどで原油価格が高騰してしまうと、押さえていたインフレが反転上昇し、景気に水を差す。三つ目がグローバル投資家たちのリスク許容度。彼らは超低金利下のここ数年で、リスク性資産投資の割合を大きく増やしてしまっている。許容度が反転する事態ともなれば、投げ売らなければならない新興国資産は少なくなかろう。

このような環境の中で、今年は僕もエレクトロニクスの本丸、中国へ足繁く通った。深セン2回、北京1回、そこから見えてきた風景は、東南アジアのそれと大きく違うものだった。多くの下請け工場が出て行ってしまった後の中国は、中国なりの創造性・柔軟性・スピードを駆使して、その膨大な内需振興に、そして海外へと打って出ようとしている。アジアのどの国も、この奔流から逃れることはできない。

中国メーカーのスマホが、DJIのドローンが、アリペイやウィーチャットペイが、これほどまでにアジア市場を席巻するとは、数年前には考えもつかなかった。反省すべき点は大きい。一帯一路など、もうとっくに始まっているのだ。しかしその中で日系企業の輝きが失われてしまったわけではない。省力化技術や高機能素材・部材については引き続き強い優位性を確保している。狙うのは経済戦争ではなく、国境を越えた協働である。

2018年のアジアもまた、中国やエレクトロニクスを中心に様々な動きを見せていくのだろう。これまで以上に、アジアを北から南まで踏破しなくてはいけない必要性を感じている。

2017年大晦日、多くの船が通行する雨のマラッカ海峡を臨みながら。
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2017年02月21日

今朝のThe China Post(中國郵報)紙1面より。

昨日のガソリン価格引き下げのニュースに続いて、今日は台湾スターバックス値上げのニュース。コーヒー豆や砂糖、牛乳価格の上昇に伴い、月曜日から値上げを敢行。日本でさえラテが410円=111台湾ドルなのに、現状120台湾ドルのラテを値上げするのは何ごとだ、との意見多数。こんなところにデフレジャパンが引き合いに出されるとは、我が国も国際的に見て、貧乏な国になったものだ。しかしスターバックスの記事に続き、1面のもう一つの記事が「マクドナルド、現地資本移管へ最終ステージ」とのことだが、こんな外食関係の記事ばかりが新聞トップを飾っていていいのだろうか、台湾。
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今朝のThe China Post(中國郵報)紙ローカル面より。

国営石油元売り最大手、台湾中油(CPC)は日曜日深夜0時より、石油の国際価格下落を背景として、ディーゼルとガソリンの価格を1リットルあたり0.1台湾ドル引き下げると発表。土曜日には民間の台塑石化(FPCC)も月曜日午前1時から、同じくディーゼルとガソリンの価格を1リットルあたり0.1台湾ドル引き下げると発表していた。台湾の石油元売り業者が0.1台湾ドルを越える引き下げを行うのは2週連続。日本を筆頭に東アジアのデフレ圧力はまだまだ強く、これがなんとなく景気の底を支えてはいる。しかしインフレへの転換が必要だと声高に叫びながら、このままではその転換点におけるクラッシュを回避するのがますます難しくなっていると感じてしまう。

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2017年01月29日

『君の名は』〜出遭わないことの困難〜

夢の記憶というものは、不思議だ。冷めた直後ははっきりとしているものの、すぐにその記憶は薄れ始め、夜、再び眠りにつくころにはすっかり忘れている。しかしその手触りだけは妙に鮮明に覚えている・・・。この夢の特性をフルに活用したのがアニメーション長編映画『君の名は』である。東京に暮らす男子高校生「立花瀧」と地方に住む女子高校生「宮水三葉」が夢の中で身体と心が入れ替わって・・・という設定で映画は始まる。お互いがその入れ替わりの記憶を長く維持できないという制約が、逆に物語を成立させる根幹となっている。

『君の名は』は典型的なボーイミーツガールの貌をしていながら、奇妙な映画である。というのも「瀧」と「三葉」はお互いをそう意識したのち、物理的にはエンディングまで出遭わないからだ。そのタネは「二人は空間的に離れているだけではなく、別の時間軸を生きている」というもの。この「時空のズレ」というギミックを監督の新海誠は14年前、初の劇場公開作品である『ほしのこえ』でも使用しているが、本作のそれは遥かに洗練された形で物語中、昇華させている。(だからこその大ヒットなのだが)

私たちの世界が交通手段、特に通信手段の驚異的な発達でもって、物理的な距離が縮まり、個別通話の秘匿性も高まってしまった結果、男女が出遭うという設定に、説得力を持たせることがますます困難となっている。その本作での解決手段が、「二人のいる時空をズラす」という離れ業なのだが、その分、ある種のリアリティが失われてしまっている点は否めない。いくら入れ替わったとはいえ、カレンダーくらい見るであろうし、だいいち3年4年もズレた世界はテレビを一瞥すれば気付いてしまうことであろう。しかし構造上、時空がズレたことを最初から明かしてしまえば、物語とそのギミックは成立しなくなってしまう。(この点はリアリティ溢れる街と地方の風景を前景に押し出すことで誤魔化している)

新海誠監督の前作『言の葉の庭』では、正面から大人の恋愛を描こうとしていた。登社拒否の女性教師と、サボって靴の絵を描いている男子高校生との淡い恋。たしかにヒットしなかった作品ではあるが、構造上、きちんとしたボーイミーツガールの形式を採っている。そのためダイナミックな構成のうねりが作れなかったという欠点もある。だからといって時空をズラして男女を出遭えなくしなければ恋愛を描けないのだとしたら、リアルな手触りのある人間関係を正面から描く努力を放棄していることになりはしまいか?もちろんこれを観た若いカップルが皆、「私たちはああじゃなくてよかったね」と安堵してくれるのだとしたら、こんな心配は杞憂なのかもしれないけど。
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2017年01月28日

『四月は君の嘘』〜死に囚われた物語〜

シンガポール航空の機内で、映画『四月は君の嘘』を2回観た。母の死がきっかけで弾けなくなってしまった天才ピアニスト「有馬公生」が、奔放なバイオリニスト「宮園かをり」と出逢い、止まっていた時間を取り戻していく。しかし「かをり」に残された時間は短かった・・・という和製物語にありがちな悲恋モノだが、美しい音楽描写の裏に通奏低音のように流れる、村上春樹よりもはるかに重篤な「死への囚われ」が極めて興味深かった。(映画を一度観た後で、漫画も全11冊を大人買いしたが、本稿ではとりあえず映画版に絞る)

映画は題名通り、桜舞い散る、うららかな春の日から始まる。しかし早いうちから「かをり」が大学病院前でバスの停止ボタンを押す描写が現れ、悲劇が暗示される。「公生」と「かをり」とがデートをする場面も、夕焼けの海岸や度胸橋(と飛び込み)そして夜の学校と、「生」よりも「死」を想起させる場所が多い。「公生」の幼馴染たちとの場面が、教室やグラウンドといった場所が中心であるのと対照的だ。極め付けは、2人が最も主人公らしく輝いていなければいけないステージ自体が、ラストに向けて「死」の彩りを帯びてくる点。「公生」と「かをり」との共演は劇中、2回しかないのだが、うち1回はなんと生霊との共演なのである。

この物語には、強い「想いのベクトル」が2つ流れている。ひとつは母親から「公生」への母の想い、もうひとつは「かをり」から「公生」への憧れの想いだ。通常の物語であったらその想いを伝える/伝わる過程が恋愛モノとしての骨子になるはずなのだが、この2つの想いは、発する側の生存中に伝わることはない。「届け」「届け」と主人公たちが呟くこの物語の中では、その想いが伝わった時=相手を失ったあとなのである。「想い」は劇中ではすなわち「想い出」となり、喪われているからこそ美しく輝く。「公生」が一人でピアノを弾く描写から、死後届けられた「かをり」の手紙に至るまで、本作のクライマックスは全て「想いの一方通行」である。

本作のスタート時に公生の母親が存命であり、「かをり」が最後まで生きていたとしたら、この物語は成立していただろうか?残念ながらそうではないだろう。親子愛を、男女愛を描くに使われる「越えるべき障壁」が、ここまで強く死に囚われている物語もそう多くはない。現代においては『君の名は』のように時空を歪ませたり、本作のように想いを発した人間を消し去らなければ、恋愛描写が成立しないだろうか?もちろん携帯をはじめとした、通信機器の発達がその垣根を低くしている点は否めない。とはいえこの困難さは、この日本という国がとてつもなく平和であり、と同時に成熟した大人の恋愛がとてつもなく描きにくい社会であることを現わしているのではないだろうか?ラスト、再び巡ってきた春の季節に、かをりの想い出は美しく甦るが、残された若者たちの未来が想像できない、そんな映画である。
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2016年12月26日

あれから10年、そして20年、歴史は繰り返されるのか?〜2017年初にあたって

僕がシンガポールにやってきた2010年、リーマンショックの反動で、この南国の島は好景気に沸いていた。GDP成長率も消費者信頼感も見たことのない水準に達していたし、極めつけは三本の脚に箱舟の形を模した天板を掲げた、マリーナベイサンズの竣工だ。2011年にはその天空のプールで、SMAPがこの世の春と踊っていた。そのCFを見て、日本の人たちは、抜き差しならないアジア新興国の台頭を見せつけられたはずだ。
2009年頃から5年ほど続いた新興国バブルは、云ってみれば棚ボタのようなものだ。リーマンショックの傷を癒すため、米国をはじめとした先進各国は、超低金利で未曽有の流動性を金融システムに流し込まざるを得なかった。一方、サブプライムの毒に染まっていなかった新興国は、相場の混乱が収まると早々にキャッチアップを開始、その安い外貨流動性というガソリンで経済成長というエンジンを吹かした。これが新興国の成長力が、先進国を大きく凌駕した仕組みだ。しかし、そんなうまい話が永遠に続くはずはない。
この永遠機関に見えた成長の転機は、2013年5月だった。時の米FRBバーナンキ議長が金融緩和からの脱却を示唆した途端、米金利は高騰、資金は逆流を開始した。バーストした米ドル高に、新興国は改めて自分たちの寄って立つ地盤の危うさを思い知らされた。逆風はなおも続く。2014年末には、オイルやメタルといったコモディティ価格が暴落、ラ米や中東・ロシアやアフリカ諸国といった資源国の輸出を痛めつけた。盤石だと思われたアジア諸国も、2015年8月の人民元切り下げショックを喰らい、中国という大樹の脆さを体感することとなった。
とはいえ2016年の中盤まで、この「ドル高・資源安・人民元安」という3つの逆風は、やや収まったように見えた。象徴的なのはBrexitだ。あれはショックではあったものの、であったからこそ先進国早期利上げの思惑を遠ざけ、グローバルに長期金利を低下させた。新興国から足を半歩踏み出していた投資家たちも、ゼロ金利という出口の無い迷宮に恐れをなし、それ以上の資金を新興国に再シフトせざるを得なかった。新興国には薄日が差した、ように見えた。
しかし世の中はそんなに甘いものではなかった。米国大統領選挙でのトランプ候補の勝利だ。彼は共和党員であるにもかかわらず、財政拡張に前向きである。日本とは違い国内にカネが無い米国の財政拡張は、即米債需給の悪化と金利上昇、そして米ドル買いへと結び付く。この資金の米国回帰は、低金利の恩恵を受けた国ほど、バックラッシュがきつい。要は人の褌で相撲を取ってはいけない、という一言につきる。
12月に入っても、新興国からの資金流出が止まらない。通常のショック時とは違い、ボラティリティは上昇していないし、キャッシュ金利は高騰していないし、クレジットスプレッドもワイドニングしていない。しかし市場に緊張感がないからこそ、サラサラと砂時計の砂のように零れる資金流出は、僕の眼には不安げに映る。もちろん、トランプ候補が現時点で計画しているあらゆるインフラ等の投資が、そのまま直ぐに全額実行に移されるわけではない。次第にその全容が明らかになっていくにつれ、債券売りが行き過ぎたものだと、市場関係者たちが気づく時が来るだろう。しかしそれはそれで現状、主に株式市場に織り込まれている米経済成長のスピード鈍化を意味し、新興国の輸出には下押し圧力となる。つまりトランプ候補の計画がうまくいっても、うまくいかなくても、新興国には茨の道なのだ。
一方日本は、降って沸いたようなドル円の上昇と日経平均株価の持ち直しの恩恵に浴している。しかし残念ながら我が国の中央銀行は、金融緩和と資産購入という、外堀も内堀も埋め立てられた状態にある。利下げと流動性供給という些少なりとも武器を手にしている新興国に比し、日本は丸裸で世界の荒波の只中に立ち竦んでいることを忘れてはなるまい。
そして2016年末、SMAPは解散を発表、華々しい花火を打ち上げることなく表舞台から消え去ろうとしている。彼らが踊ったマリーナベイサンズの前では、卒業式シーズンに「職をください」というプラカードを掲げて、卒業写真を撮るのが流行ってしまった。コンテナ取扱量も、不動産市況も低迷し、シンガポールの屋台骨である金融セクターにはレイオフの嵐が吹き荒れているからだ。
数えてみると、リーマンショックの始まりであるパリバショックから、今年は10年。そして悪夢のアジア通貨危機からは20年が経つ。そういう符牒で市場を語るのは好きではないのだが、2017年が不気味な夜明けで始まろうとしていることだけは、間違いない。

2016年末日、マラッカ海峡を望みながら。

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2016年10月29日

ドイツとシンガポールとクレーンと

商社に勤めていた僕の親父が、仕事の都合で西ドイツの港街ハンブルクに渡ったのは、30代前半の頃だった。まだ会社には支社もなく、親父はまずは半年、業務を立ち上げる前にドイツ語学校へ通った。そこには一人だけ30代のアジア人がいて、10代20代の南欧やトルコの若者に交じって、ドイツ語を学んでいた。彼はシンガポール人で、年の頃が近かった親父とすぐに仲良くなった。
彼はシンガポール政府から派遣されてきた港湾クレーン技術者で、神戸とハンブルクとを迷った挙句、ハンブルクで最新の技術を学ぶため留学してきたのであった。1970年代前半のシンガポールなぞ、マレーシアから追い出されるように独立した後で、技術者の留学費用を工面するのも大変だったろう。彼はその後、港湾運営会社PSAにてシンガポールの港湾クレーンの立ち上げに尽力したが、若くして病に倒れた。
そのシンガポールの、コンテナ埠頭を見下ろす場所に僕は住んで、この文章を書いている。シンガポールが学ぼうとしていた日本は今やなく、むしろシンガポールに学ぶ位置にいる。この街にやって来て、丸6年が過ぎた。彼の息子は現在、シンガポールでドイツ車などを売るディーラーをやっている。親父と彼と、その息子たちの、日本とシンガポールとドイツとの関係は、この40年で大きく変わった。そして、今後も僕たちの想像を超えて変わっていくのだろう。巨大な港湾クレーンは、その時、何処で唸りをあげているのだろうか?
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2016年07月21日

今朝のViet Nam News紙記事「VIB、2016年上半期、記録的好業績」より。

本日のビジネス欄一面は、ベトナム国際銀行(VIB)の2016年上半期収益が7%伸びたとのニュース。しかし預金・融資も7.4%ずつ伸びているのでどうなのか、と。とはいえ、2015年末→2016年3月末→6月末と、不良債権が2.07→2.05→1.84%と低下しているのは良いこと。(もしかして、差し押さえ不動産の担保価値が上がっただけかもしれないけど)国の経済規模が拡大すれば、総花的に融資を行う銀行は、総じてこうやって業績が拡大するものなのかもしれない。面白いのはオンライン商品販売(投信とかのことか?)が、半年で140%伸びているとのコメント。国民の銀行口座保有率が2〜3割、クレジットカード保有率が3%といわれるこの国でも、スマホは確実に人々の生活を変えつつある。
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今朝のViet Nam News紙記事「ベトナムの中期経済見通しは明るい」より。

本日の朝刊一面は、昨日発表された世界銀行のベトナム経済レポートの引用。世界銀行は2016年上半期のベトナムGDP成長率が、農業部門の不振と工業部分の減速で5.5%(2015年同期6.3%)とやや鈍化しているが、中期的には問題なかろうとの判断。上半期融資量が18%も伸びているのに、インフレが加速しないのは、ひとえに原油安の恩恵。心配されているのはGDPの65%でキャップされているにもかかわらず、62.2%にまで達してしまったベトナムの政府債務。世界銀行のエコノミストは「政府債務を中期的に減らし、インフラ投資に振り向けなければならない」とコメントしているが、それができるんだったら誰も苦労していない。
posted by ハンス岡川 at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする